ライフネット生命保険株式会社は2016年5月、デフリンピック選手の岡部祐介さんを社員として採用しました。同社にとって、初めての「障がい者雇用」であり、また「アスリート雇用」でもあります。
聴覚障がいの当事者であり、アスリート。そんな岡部さんを迎え入れたことで、社内にどのような変化があったのか。そして岡部さんは、どのように社内にフィットしていったのか。同社で人事担当マネージャーを務める関根和子さんと、広報担当リーダーの原由美子さんへお話を伺いました。
インタビューの後編では、岡部さんのターニングポイントにもなった新たな取り組みと、「ダイバーシティ推進企業」としての思いについて触れていきます。
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「陸上教室」でデフリンピアンの本領発揮
――今年の8月には、岡部さんが中心となって、聴覚障がいのある子ども向けにランニングクリニックを開催されましたが、どのような経緯で実施されたのでしょうか。
原:岡部さんが入社し、私が広報担当になることが決まって、まず最初の打ち合わせで何がやりたいのかヒアリングしたんですね。彼が言ったのは、「まずアスリートとして大成したい」、それから、「聴覚障がい者への理解を深める活動をしたい」、最後に「聴覚障がいを持っている子どもたちの光になりたい」ということ。それらの活動を通じてライフネット生命に貢献したいと。私の中でそれが凄く腑に落ちたんです。
昨年(2017年)は、デフリンピック(※)もあって、トレーニングや取材で忙しかったけれど、大会が終わって、これから何をしていくかという時に、聴覚障がい者のスポーツは、まだ認知度も高くないから、受け身では何も起こらないよね、と話し合いまして。そんな時に、「ろう者の子ども向け陸上教室をやりたい」と岡部さんが以前から言っていたことを実現するタイミングではという話になり。そこから、日頃から岡部さんを支えてくれている協力者の助けもあって、かねてからの想いを具体化することができたというわけです。
開催してみたらものすごく好評で、参加したお子さんやご両親から、「運動会のリレーがいつもビリだったのに、脱却しました!」とか「3位になれました!」と、Facebookの岡部さんのファンページに、動画や写真と一緒にメッセージが届いたんです。「岡部さんのおかげです」って。お子さんにとっても良かったと思いますし、ご両親からも、デフリンピアンに直接教えてもらって、子どもが結果を出せたのが嬉しかったと仰っていただき、「実施して本当によかったね。続けましょう」と岡部さんと話しました。
※デフリンピック:4年に1度、国際ろう者スポーツ委員会が主催する“ろう者のオリンピック”
教室の時は、岡部さんの表情が普段私たち聴者に合わせて話してくれている時とまったく違っていて。サポートで入った社員も「岡部さん、いつもと表情が全然違うね」って。やっぱり、自分のフィールドじゃないですか。陸上、しかも手話だから。
参加者の子どもたちも、皆“聴こえ”の程度が違ったり、運動が得意な子、苦手な子、当日、ちょっと怪我をしてしまっていた子とそれぞれで。でも岡部さんは、状況に応じてグループ分けをしたり、メニューを調整して一人ひとりに丁寧に話しかけて対応していました。手話通訳者さんも感心していましたね。スタッフ皆さんへの気遣いもすばらしく、「気遣い王子」だと(笑)。
そして今回改めて感じたのは、ろう者のお子さんたちもきっと日頃は聴者に合わせて大変なんだろうな……、ということ。岡部さん自身、小学生の頃は一般の学校でしたし、走り方を手話で教えてもらえるという経験はしていませんから、今回のように手話で直接教えてもらえる機会はやはり大きいのではと思いました。
教室開催の後は、岡部さん自ら参加したお子さんのご両親に参加のお礼メールをしたり、お世話になった方に、積極的に活動の報告をしたりしていました。以前は「恥ずかしい」と言って前に出ることに躊躇していたところもありましたが、デフのお子さんからダイレクトに反応をもらったことで岡部さん自身の意識が変わったんだと思います。「少人数でも継続して開催していきたい」と、少しずつ自分の方向性が見えてきたようで、(陸上教室の開催を機に)ちょっとスイッチが入ったような印象です。
それから岡部さんの人柄をあらわすエピソードとして、今回、岡部さんと繋がりのあるたくさんの方が、イベントの告知に協力してくれたんです。当社にとっても初めての試みですからなかなか参加者が集まらない状況で困っていたら、岡部さんが、「『何かあったら相談してください』」と言ってくださっている方がいるので、連絡してみます」と。どんな方なのか後から知って驚きましたが、元プロ野球選手の方や各界でご活躍されている方々に告知して頂いて。
それはお相手が協力したいと思える関係を普段から岡部さんが築いているからこそですよね。その意味では、岡部さんの取り組みを、陸上教室の参加者以外の多くの方にも知っていただくことができ、良い広報活動ができたのではとも思います。
「アスリートを応援すれば良いのかな」と思っていました
――岡部さんの社内における評価はどのようなものですか?
関根:本当によく頑張ってくれていると思っています。現役選手としては年齢的にも決して若いとは言えない中で、入社してからも自己記録を更新し続けている。それって凄いことだなと思います。ビジネススキルの習得という意味でも、一生懸命両立させようとしています。「二足のわらじを履く」というか、仕事と“何か”を一緒に成し遂げて、なおかつ業務に好影響がある。そういう人が社内にいるのは凄くありがたいことです。
――岡部さんの入社前後で変化したことはありますか?
関根:「知ればできることが多い」と思えたことでしょうか。私たちの考えがまったく及ばないことで岡部さんが困っていたり、本人も言いづらい状態で一定期間が過ぎる、という状況は、当初は全く想像に及びませんでした。だから、お互いに理解しあうことの大切さを感じました。
最初は「アスリートを応援すれば良いのかな」ぐらいのイメージでした。「こういう人が来たらこうだろう」という想像を超えるようなことを、一つ一つ理解しながらクリアしていく機会が得られたのは、とても良い経験だと思っています。
競技という切り口でも、私は岡部さんと知り合った時は、デフリンピックすら知らなくて。試合に向けた調整も、私にとっては想像の世界でしかなかったのが、岡部さんが隣席で、変な時間にご飯を食べてたりするんですよ。「あれ、お昼食べなかったの?」と聞いたら「カロリー摂らないといけないから、何回かに分けて食べるんです」と、アスリートならではの答えが返ってきたりして(笑)。普通の会社員だったら知らないような世界で、面白いな、と思います。
――アスリート採用の一般的なメリットは、競技で結果を出すことによるPR効果だと思いますが、今回の岡部さんのお話を伺うと、必ずしもそれだけではないと感じます。
関根:私は岡部さんがろう学校で講演をした時に同行させてもらいました。私も今、子育てをしていますが、子どもの将来って親なら誰もが心配するものですよね。私の想像ですが、障がいがあったら尚更心配な面もあると思います。
そこで、実際に岡部さんのように今イキイキと活躍している人を見られるのは凄く良い機会で、“人生のロールモデル”じゃないですけど、生きていく上で、「あの人みたいになりたい」と思えるのは結構大事なことだと思います。講演を聞いて、岡部さんは、ろうの子どもたちにとって、とても貴重な存在なのかな、と感じました。誰かに何かのきっかけを与えられる人が同じ会社の仲間にいるのは誇らしいことです。
ダイバーシティ推進企業として
――デフアスリートである岡部さんが、今後の採用活動における一つのロールモデルになっている部分もあるということですね。
関根:そうですね。当社は150人の会社で、1人の力がとても大きい。だから、岡部さんがいるのといないのでは大違いです。陸上教室を企画するとか、ろうの方々に向けて働きかけるのは岡部さんがいたからできたことです。
また、当社はLGBTの活動も積極的に行っていて、毎年ゴールデンウィークに渋谷で開催される「東京レインボープライド」というイベントにブースを出しています。フォトブースで写真を撮って、1人につき100円ずつ当社がチャージをして、そのストックを元に全国の図書館等にLGBTの理解を深めるための児童書を寄付する活動をしています。
そのイベントに、聴覚障がい者も多数来られますが、当社のスタッフ皆が、ジェスチャーや筆談で当たり前のように応対していました。そういうことが自然にできるのは、やはり、岡部さんが来てくれたからだと思います。そう考えると、社員の世界も広がっているように感じます。岡部さんの身近で働いてる何人かは、手話検定を自主的にで受けて、取得しています。
――LGBTイベントへの出展のお話もありましたが「ダイバーシティ推進企業」としての今後の方針について伺えますか。
関根:「年齢」、「障がい」、「働き方」……色々な切り口があると思いますが、新しい価値観に気づかせてくれる人や、会社として大事にしたいことを一緒に守ったり、推し進める人の存在は大切にしたいと思っています。LGBTに関する活動をしていたことで当社を知って、採用試験を受けて内定に至っている学生もいます。岡部さんの活躍がきっかけで、今後もしかしたら、ろう者の方が「ライフネットで何かしたい」と言ってくださるかもしれない。門戸を広げておきたいです。
――企業に所属しているアスリートの中には、長期遠征から帰ってきたら、何となく社内で居場所がなかったり、周囲の社員がどう接して良いかわからなかったりする場合もあるようなんです。でも、岡部さんはそんなこともなく、社内でフィットされているように見えます。それはなぜだと思いますか。
関根:もちろん、岡部さんの人間性もありますけど、当社は創立間もない時期から、「部活動」として趣味の延長で色々な活動をしています。例えば、「ゴルフ部」、「水泳部」や「アスリート料理部」(大勢で楽しく料理を作る活動)などです。もしかすると、部署を越えて何かをすることが自然にできていたからかもしれません。
また、岡部さんは、主務として人事総務部に所属していますが、業務上、マーケティング部やシステム部と連携したり、複数の部署と共同で仕事をする機会があるので、社内でのコミュニケーションの層が厚かったのが良かったのかもしれません。
(取材・構成・写真/吉田直人)