羽生敦氏は、ラクロスに9年間関わり続けた。大学時代に東大男子ラクロス部のミッドフィルダーとして活躍し、その後5年間に渡って東大女子ラクロス部のコーチとして、チームを指導した。
そんな彼が、ヘッドコーチを引退し、9年間のラクロスとの関わり合いでたどり着いたチームが勝利を獲得するための「3つのポイント」を自身のFacebookアカウントに投稿した。
この内容に、ビジネスとの連関性を見出したmeme編集部は、文章をメディアに寄稿いただけることになった。
それでは、ラクロスに関わり続けた羽生氏に「コントローラビリティ」「疑うこと」「Appreciate」の3つのポイントについて語っていただこう。
9年間お世話になったラクロスを今年で引退することにしました。
この9年間を振り返ってみると、大切な仲間—Blue Bullets(※1)の同期や先輩後輩、お世話になったコーチや、Celeste(※2)の選手とスタッフ—に強く支えられた時間だったと感じています。
本当にありがとうございました。
※1東京大学男子ラクロス部。1987年創部、関東学生ラクロスリーグ一部所属。(部員数100名)
※2 東京大学女子ラクロス部。1989年創部、関東学生ラクロスリーグ三部所属。(部員数60名)
そして実は、こうして離れることを決めたとき、ラクロスというスポーツ自体への感謝の思いを初めて感じました。
9年間、ラクロスがあまりに当たり前のものとして存在していて、いかに僕にとって大切な時間と場所と仲間を提供してくれていたか、真に想像できていなかったことを強く後悔しています。ラクロスというスポーツ自体をもっとリスペクトしていたら、また何か選手やコーチとして違った結果を出せたのかなとも感じています。
自分の20代のほとんど全てを注がせてくれたラクロスというスポーツに対しては、ただただ感謝の思いしかありません。ルールも変化し、お金もかかり、テレビ放送も大してされていないような不安定なマイナースポーツですが、これからもっと多くの人生に関わり、成長の場となり、感動を生んでくれるスポーツへと進化していくことを強く願っています。
さて、せっかく9年間関わったので、特にコーチ時代の5年間でたどり着いたことを3つ(「コントローラビリティ」「疑うこと」「Appreciate」)について、エッセイ調で爪痕として残したいと思います。
5年分ということで、かなり長い文章になってしまいましたが、僕がどんなコーチだったのかをなんとなく感じてもらえたらありがたいですし、またチームにはコーチとしての最後の言葉として受け取ってもらえると幸いです。
1. コントローラビリティ―ラクロス
Head Coach(HC)だった4年間で、軸となるラクロス観はかなり変化した。
HCのミッションとは、究極的にはチームの勝利にコミットしきることに尽きる。そのコミットの広さと深さこそがHead Coachの矜恃である。
「コントローラビリティ」は、勝利にコミットしきるHCの視点からラクロスにおいて最も重要だと行き着いたポイントが、「コントローラビリティ」だ。いかに不確実性を排除して、短期的な目の前のゲームと、中長期的なチーム運営をコントロールできるかが、チームが安定して勝つためには最も大切である。
コントローラビリティをもう少し具体化すると、「①OFの得点をDFの失点より上回らせ、目の前の試合が終わるようにゲームプランを仕組む」短期的視点と、「②再現性高く勝つチームを構築する」中長期的視点となる。
これらの短期的視点と中長期的視点について話そう。
短期的視点―OFの得点をDFの失点より上回らせ、目の前の試合が終わるようにゲームプランを仕組む
目の前のゲームで死んでも勝つために、様々なシナリオを想定し、どんなケースにおいてもOFの得点をDFの失点より上回らせ、試合を終わらせねばならない。
「OFの得点」とはすなわち、「OF機会」×「OFシュート決定率」であり、「DF の失点」とはすなわち、「DF機会」×「DF被シュート決定率」である。それぞれの要素はさらに細分化され、「どの要素を、誰が、どのタイミングで、どうやって、どの程度動かせば、最終的にOFの得点がDFの失点を上回った状態で試合が終わるのか」を考え抜くことになる。
それらの要素の動きをコントロールするため、勝つためのゲームプランにおいては(タイム(時間帯))×(スコアの状況)×(チームの強みと弱み)×(相手の戦術)×(ゲームの波)×(ファールの取られ方)・・・といった10次元くらいの軸で様々なシナリオを想定する必要が出てくる。
その上で、自分達に優位なシナリオのゲームフローに持ち込みつつ、ネガティブなシナリオに陥ったときでも複数の対策を持っておくことで、ゲーム全体のコントローラビリティは高まっていく。
こうしてゲームをコントロールすることを突き詰めると、「本当に想定しているシナリオ通りか?」「今の状況認識は間違っていないか?」と不安を覚えて、定量的にゲームの状況を把握したくなる。すなわち、目指す指標を設定した上で、その指標とデータの差を早く見つけて対策を打つことで不安を解消したくなるのだ。
東大女子ラクロス部はその点で非常に優秀で、例えば「GB獲得率」といった一般的なデータでも複数に細分化され、かつコーチボックスではすぐに伝達されており、どのシナリオに置かれているかを捉えることが非常に容易だった。1試合で50種類程度のデータをとっていたが、ゲームの後の反省においても、「どのパーツが優位/劣後だったのか」「どの数値がどれくらい変わると勝つか/負けるか」「そのために次にどんな練習をすべきか」が、ゲーム中のコーチにとってはかなり明確だった。
5年前にチームに参加したときはスタッフすらいない状況だったから、こうした血の通ったゲームの分析態勢が構築されたことは非常に有り難かった。今ではスタッフは10人程度となり、また初めて1年生から4年間続けてくれたメンバーが出たことも個人的にはとても嬉しかった。アメフトや男子ラクロスではなく女子(同性)のスポーツチームに、やっとの思いで入学した彼女の東大での4年間を費やすということは、そのチームに本当に大きい価値がないと不可能なはずである。
また、僕が感じるラクロスの一番の魅力は、戦術の再現性の高さ、言い換えれば一度ボールを持てば基本的にOFの思うがままの世界であるという点だ。
優秀なHCにとってはゲームのコントローラビリティを握りやすく、イケてないHCは行き当たりばったりになりやすいため、ある意味ではコーチの実力が最も出やすいスポーツの一つだと思う。
ボールのポゼッションを維持するために、ボールが誰のものでもない状況を制覇することが、ゲームプランの生命線だった。すなわち、ニュートラル – GB(※3)とDraw(※4)へのこだわりが強かった。
※3 Ground Ball。ボールが地面に落ちている状態で、どちらのチームもポゼッションをしていない状態。先にボールを拾ったチームのボールとなる。
※4 ゲーム開始やシュートが決まった後に、センターラインにおいてボールをどちらのチームもポゼッションしていない状況から始め、ボールを奪い合う。
データ上でも、勝敗の分水嶺となるのは、華やかなシュートを何回決めたかではなく、どれくらい泥臭くボールが誰のものでもない状況を制覇できたかだったと認識している。選手としてもコーチとしても、ニュートラルの制覇は僕のラクロスの全てだったといっても過言ではない。
特にDrawは男子ラクロスにはないパーツであり、しかもチームにはDrawに特化した選手や勝つためのノウハウといった蓄積がほぼない状況だったから、Drawチームにはひたすら量をこなして質に転化してもらうという昭和的な方法でしかアプローチできずに申し訳なかった。1週間に1,000本以上Drawを上げ、全員が腱鞘炎になって取り組んでいる我らがDrawチームは冷静に考えると大分異様であるが、ゲームにおけるDrawの大切さをしっかり共有した上で発現された彼女達の執念は凄まじいものがあった。
コントローラビリティを確保するために最も難しかった点は、チームと強い信頼関係に基づいたコミュニケーションを成立させて、自分の脳内だけではなく実際に形にしていくことである。コーチは直接試合に出るわけではないので、どんなに質の高いプランをイメージしたとしても、それらをゲームで体現してもらわないと勝利には繋がらない。
しかし、率直にいって僕のコーチとしての5年間はこの点が圧倒的なボトルネックだった。自分自身の選手とのコミュニケーション能力の低さ、さらにはそのベースとなる強い信頼関係の構築力の欠如を痛感させられながら、あっと言う間に5年が過ぎた。おそらく、まともにスポーツのコーチ業を経験をすると、大抵の人は同類の悩ましさを最も抱えるのではないだろうか。
コミュニケーションが不成立となると、簡単にゲームのコントローラビリティは失われ、運とポテンシャルのみで戦う「出たとこ勝負」となって、大抵のケースで我々は負ける。逆に、5年間の中でほんの数回だけ存在する奇跡的に勝ったゲームは、いずれも自分でコントローラビリティを失わなかったゲームだった。
コントローラビリティを失わないためにおそらく大切なことが、後述する「疑う」マインドセットと、さらにそのベースで「Appreciate」するチームビルディングを実践することだと考えている。
中長期的視点―再現性高く勝つチームを構築する
短期的に目の前のゲームでコントローラビリティを確保し続けるためには、中長期的に「再現性高く勝つチームを構築する」こともHCのミッションに含まれる。含まれるというより、目の前のゲームのために持てるオプションは数週間前、数ヶ月前、はたまた数年前の投資からやっと生まれるもので、未来のために下準備をしていくことは、継続して勝つためには決して欠かせない。
短期的なゲームプランは、修羅場の前の最後のハッタリに近いものである。どんなにいいプランがあろうとラクロス自体が上手くないとゲームでは勝てないが、その基礎となるフィジカルやアジリティ、そしてメンタリティの強化についても、HCとして勝ちにコミットするのであれば決して看過できない。いやむしろ、ポテンシャルでどうしてもビハインドのある東大女子を勝たせるために、チームの土台を広げることの方に腐心せねばならなかった。男女の生物学的な違いのおかげで、徒労に終わったり踏み込んでいいラインを見誤ったことも何度もあり、土台の底上げは5年前と比べると大分成果は出たものの、その過程にははっきり言って辛いものがあった。
そして、最も大きかった中長期的投資がRecruiting(新歓)である。自分がCelesteに大きく貢献できたことの1つだったと感じている。この5年間でチームの規模感が4倍程度になり、タレント選手も多く入部し、ラクロスの戦術で取れるオプションや選手が切磋琢磨できる機会が格段に増えた。学生スポーツは2年間で半分のメンバーが入れ替わるため、Recruitingは未来のチームが勝つことに非常に大きな可能性を秘めている。
僕は今年の4年生が新入生のときのRecruiting計画から関わったが、この代から毎年20人程度の規模感で成果を安定して出せたことがとても大きかった。東大には毎年女子が600人程度入学するが、我々は新入生のほぼ全員を網羅していたはずで、また1日単位で戦略通りメンバーが増えていく時間を楽しめたことは、5年前の新歓リーダーが一人で事務的に行っていた辛そうな新歓と比較するとまた違う絵姿のRecruitingへと変貌を遂げた。
そして何より、Recruitingはそれ以上の意味をもつ存在になった。チームの存在意義や自分達のあり方を再整理し、本当に新人に4年間を費やしてもらう価値が我々にあるのかを全員で問う時間は、非常に深い奥底でチームの地力を醸成した。中心となっていたメンバーには、「活躍してほしいと思われる人が最後に活躍する」と口癖のように伝えていたが、今でもまさにその通りだと感じていて、時間と体力だけがかかり直接的にメリットのないように感じられる事務的な作業や新入生との対話に心血を注いだメンバーが、後輩達に支えられながらラクロスでも結果を出せるようになる姿を間近で見られたことは、コーチという立場を超えて一人の人間として感動させられるものがあった。
コーチとしての5年間は、中長期的視点でフィジカル等のベースを広げることや、Recruiting等の勝てる組織を作ることに、圧倒的にエナジーを割いていた。ラクロスチームのHCと言いつつ、一番ラクロスを考える時間が限定的なポジションがHCだったのかもしれないとさえ感じる。
とてもではないが考えていたことの全てを表現しきれないので、現役は悩んだら気軽に声をかけてほしい。
2. 疑うこと―マインドセット
そうした「コントローラビリティ」を獲得するために避けて通れないマインドセットは、健全に「疑うこと」だと思っている。
「疑う」という言葉は少し強いので、「1つの観点に縛られず、色々な観点から物事を考える」くらいに捉えて欲しい。
HCの立場としては、まずは常にチームを疑っていた。チームは好調に見える時ほど危険で、不調な時ほど成長のチャンスだ。雰囲気の良いときにあえて水を差したり、全く道筋が見えないときに強引に引き上げる、そうしたバランス感覚がこの5年間でかなり身についたと思う。
それは選手に対しても同様である。上手くいかない選手がどうしたら上手くいくかを本気で考えることは当然だが、上手くいっている選手がどういう状況に陥ったら上手くいかなくなってしまうかを想定しているコーチは少ない。あえてこちらから逆境を作り、ミスして欲しいと期待しながらコートに送り出すことすらあった。本人にとってもっと大切な、絶対に活躍して欲しいシーンで簡単には折れないために。
そして、何よりしんどいが絶対に外せないマインドセットは、自分自身を「疑うこと」だ。土日の練習やゲームが終わり、帰りの銀座線の車内で、その日自分が発した言葉や下した判断を何度も疑い、それが勝利に繋がらない可能性を考えて死にたくなる。5年間のコーチ業はそんな日々の連続だった。
ありとあらゆる場面で、常に正反対の視点で物事を考えたり全く自分が感知していないことに思いを巡らせる癖がないと、コントローラビリティは獲得できない。1点を追うような緊迫したゲームでは、普通では想定できないような状況にも対応できる準備をしておくことが安定した流れをもたらすし、中長期的なチーム運営についても、現状の当たり前さを疑ってゴールから逆算した目指すべき地点を一から考え続けないと、形骸化してパワーが消えたチームが出来上がる。
そして何より、異なるバックグラウンドを持つメンバー達とのコミュニケーションにおいては、健全に疑うこと、すなわち「自分自身は相手の言葉を正確に受け止められているか」「相手が本当に伝えたいことは別にあるのではないか」「そもそも自分はこれに耐え切れるコミュニケーション能力があるか」等の自分への問いかけがないと、膨大な価値観を受容しきれない。高いレベルのラクロスを求めるエースと、中々上手くならずにネガティブになっている1年生、どんなに頑張っても結果に繋がらずもやもやするスタッフ・・・といった様々な思いを抱えるチームの全員を一つにまとめることは、自分と相手にひたすら問いかけをし続けてこそ、可能となる。
本当に残念なことに、20代の僕はその意味では全くイケていなかったコーチで、相手に対して健全ではない疑い方をして信頼を失ったこともあったし、逆に自分の認識を疑いきれずに絶対にしてはいけない誤解を看過してしまったことも山ほどあった。5年経った今ですら、その点では理想のコーチ像とは程遠いと感じている。申し訳なさは未だに募るが、これが今の自分の限界だったようにも思う。
勿論、ずっと疑ってばかりではなくどこかでわりきった決断をして断定的に物事を進めなければならないが、全ての面で納得できる決断はほとんどとれない。むしろ、本質的にチームにとってプラスの決断こそ、表面的なコストや破綻するリスク、心理的な抵抗感は大きいことの方が多い印象だ。
健全に疑って様々なケースをイメージし、「誰が、いつ、どこで、どの程度、ネガティブな要素を抱えるのか」を想定しきることで、そうした様々なステークホルダーの中でチームにとって大切な利益を享受するための判断が可能となるはずだ。
リーダーは、その決断において自分が嫌われて孤独になるタイミングが訪れる。ここで大事な決断を避けて、嫌われずに逃げることはリーダーとしては失格だ。逃げるのではなく、疑うことで様々な観点の想定ができれば、自分の嫌われ方を受け止めやすくなるし、コントロールもしやすくなる。
余談だが、そうした健全に疑う思考癖を身につけさせてくれたのは、ワタルさん(※5)だったと思う。
ワタルさんには一時期、僕が発するほとんど全ての言葉に「・・・と思うじゃん?」とアンチテーゼを投げかけ、また僕が悩んでいるのを見るのを楽しむことがブームの時期があった。そのせいで、未だに何かを考えている時、「・・・と思うじゃん?」というワタルさんの声が聞こえてきて邪魔をする。
しかし、この「・・・と思うじゃん?」という声のおかげで、僕の人生は救われたと思う。厳しい局面に対峙するとき、それまでであれば理解し得なかった人と接するとき、保守的ではなく少し無謀なチャレンジをするとき、「・・・と思うじゃん?」という声を通じてワタルDNAは僕の心の器を広げてくれる。
自分が現役の選手だったときから、ワタルさんのような存在の人に恵まれたことは本当にありがたいことだった。
※5 安西 渉 氏:元東京大学男子ラクロス部GM等、現千葉大学男子ラクロス部GM兼HC。一般社団法人 日本ラクロス協会理事も務める。
非合理的なスタイルに傾倒したごく一部の指導者と、現場の生々しさを知らずに耳障りの良い理想論だけを語る外野のおかげで、人と人とが開放的に成長させ合うには完全に逆境な社会になっていく。健全に他人の成長にコミットすることすら厳しくなる中、自分を健全に疑う力をつけ、目には見えない大切なことに気づくスキルの有無が大切になってくると考えている。
3. Appreciate―チームビルディング
健全に疑うことができるチームこそが強い。そうしたチームビルディングの柱は、チームの全員がお互いに高い水準で「Appreciate」し合うことにある。
コーチとして強調し続けた言葉がいくつかあるが、そのうちの一つが「Appreciate」だ。「そのものの価値を正しく判断し、感謝の念を抱く」という意味で、日本語にはない絶妙なニュアンスだと思っている。
Appreciateの基準が低いチームは弱い。疑うことが出来ず、チームが勝つための過程で起こる厳しいシナリオを想定できず、目の前のゲームでも中長期的なチーム運営でもコントローラビリティを失うためである。
しかし、誰だって疑われること、それまでの居心地のいいエリアから抜け出すことは心理的に受け入れがたい。自分も含め、それまで能力や判断を疑われるシーンに乏しいタイプの東大生なら尚更困難である。
そう、Appreciateは非常に難しいのだ。
日本語にすると「ありがたい」になるのだろうが、文字通り「有り難い」ものでなければAppreciateは成立しない。
僕にとってラクロスが有り難いものだと感じられなかったのと同じで、選手にとってコーチから疑われることが、コーチにとって選手が自分で考えて前向きに頑張ることが、チーム全員にとってチーム全員が同じチームであることが、真の意味で「有り難い」ものだと見なされなければ、Appreciateは成立しないのだ。コーチ5年目ともなると、どうしても選手に対する有り難さは1年目より薄れてしまったし、逆に選手側も、5年前の誰もコーチがいない時代から比べるとコーチの有り難さを感じ難くなることは致し方なかっただろう。その点は大きく後悔している点の1つだが、これについてもどうしたら良かったのかは正直分かっていない。
しかし、その「ありがとう」は真に自分達に必要な有り難い価値に向けられたものかという、まさにこの点こそ、今のチームが疑うべき点だと僕は思っている。Appreciateに嘘をつくべきではない。
大学を代表するチームとして、「勝利が最も大切だ、全ては勝利のためにある」という思いがバラバラだと、Appreciateは決して成立しない。つまり、勝利を「何よりも自分達に必要な有り難いもの」だと認識しているか問うということである。
はっきり言って、東大女子がスポーツで勝つことは並大抵のことではない。スポーツを楽しむ水準と、そこから引き上げたゲームで勝つ水準までに、極めて大きな乖離がある。勝ちたいと嘯きながらも真に「勝ちたい」のでなければ、コーチ側は存在しない選手とのAppreciateし合う関係を信じ続け、ぬかに釘を打ち続けるだけの存在になってしまう。
本当にチームが勝ちたいのか、そのためにそのコーチに価値があり、自分達に必要なのかをしっかり問うべきだ。そうして生まれる確かなAppreciateし合う関係性を得られないと、コーチ側は不安で仕方がなく、健全にチームを疑うことすら出来なくなる。それは非常に不幸な関係だ。
Appreciateは本当に難しい。
ラクロス界には、今までどれほどのAppreciateされるべき尽力が消えていったのか、その消失でチームがどれだけの可能性を失ったのかを考えると、少し怖くなる。自分自身、そのときには気づかずコーチになって初めて、自分が現役時代にいかに高品質な時間を頂いていたかを実感するのだ。
しかし、その立場にならないとその価値を感じられないからといって、Appreciateすることを諦めたくはない。いかに諦めずに「そのものの価値を正しく判断し、感謝の念を抱く」集団に出来るかどうかが、チームビルディングの本質だと思う。
今後の東大女子ラクロス部の命運は、この3点、すなわち「コントローラビリティ」「疑うこと」「Appreciate」にあると思っている。もしかすると、他の学生ラクロスのチームも近いような状況かもしれない。
誰一人としてスポーツをするために東大には入っていない我々にとって、ラクロスで勝つということ、そのためにチームとして一つになることは完全に異質なことだ。そもそも東大は女子入学者数のパイも少なく、授業や試験に当てねばならない時間も多く、また身体能力でもビハインドしており、勝つために求められるエナジーは他の大学の何倍になるのかわからない。
残念ながら、自然状態におかれた東大女子のスポーツチームにコントローラビリティは存在しない。その中で勝つために必要なことは、健全に「疑うこと」でいかなるシーンも全員で乗り越えられるしなやかさを手に入れ、目の前のゲームと中長期的なチーム運営を「コントロール」すること。その「疑う」プロセスは、20年間の人生で自分の理解の範疇に収まっていた世界を抜け出し、想定外の世界を受け入れることと同義だ。それらのベースとして、「Appreciate」 – 感情的にならずに本当に自分たちが成長し、勝つために大切な価値を見極めること – が必要となる。
これが東大女子ラクロス部の全てだ。
それを成せれば、チームをさらに発展させて一部に昇格することは容易だし、成せなければ、またゲームが出来るか出来ないかの規模のチームに戻る。
これは、5年間のコーチ業を経て確信している。
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最後にチームに向けて、コーチの間は茶番になってしまうため大っぴらには言えなかったが、引退した今なら言える大切なことを伝えたい。
勝利が何より大事だと言い続けてきたが、
本当は、そこに到るまでの時間と一緒に過ごした仲間、そして成長した自分が「何よりも大切」だと思っている。
逆説的だが、それらは勝利が何より大事な世界にいるからこそ「何より大切」な存在になることが出来るのだ。
学生時代のスポーツくらい、耳障りの良いビジョンや綺麗事の理念に倒錯せず、勝つことのみを追い求めて、本当に輝かしい時間を過ごした魅力的な人達になってほしい。
今まで大変お世話になりました。
本当に有難う。