サードキャリア

Jリーガーしか知らないひとつの「ファクトフルネス」

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「プロ」なのか「アマチュア」なのか、

「Jリーガー」なのか「非Jリーガー」なのか。

 

一体これらの明確な境界線はなんなのか考えたことはあるだろうか。

 

もちろん、

「報酬があるのかないのか」

「サッカーが仕事であるのかそうでないのか」

といった「定性」で表すことも可能だが元Jリーガーとしてプロの世界をみた井筒陸也は自らの体験で考えを語る。

 

今回は以前、『大学史上初の4冠を成し遂げたJリーガー井筒陸也の「150人の組織論」』という記事をmemeに寄稿いただいた井筒陸也氏に、

「Jリーガーから見たJリーガー」と「一般の人からみたJリーガー」の認識の差異

(=ファクトフルネス)について語っていただいた。

 

Jリーガーとそうでないフットボーラーを分かつポイントは意外であった。

Jリーガーかそれ以外か

©️TOKUSHIMA VORTIS

なりたい職業ランキングでは上位常連、勇気や感動を与えられるetc…。

Jリーガーという響には煌きのようなものがある。ディビジョン、クラブ、選手によりけりとはいえ、実働2時間の練習で貰えるサラリーは、少なくとも時給換算すれば「大きい金額になる」といっても差し支えないだろう。現状、Jリーガーという名前を冠することができるのは、トップリーグから数えて3つ目のJ3までで、J4にあたるJFLは社会人リーグの最高峰という位置づけになっているが、勝ち上がれば彼らもJリーガーになることができる。

 

フットボーラーたちは二度、ふるいにかけられる

高校と大学の卒業のタイミングで。Jリーガーになれる人間と、それ以外に、二分される。夢破れた者は大学や、社会人リーグや、海外(サッカー新興国など)に舞台を移して、その夢の実現を保留する。

 

ファクトフルネス

 

自分の話をさせてほしい。

僕は「Jリーガーになるつもりがなかった」と公言している。しかしこれは微妙な表現で、本当のところは「なれると思っていなかった」が正しい。

大学までサッカーを続けるという選択は、スポーツ推薦での入学だった自分には当然のものだったし、ふるいから零れ落ちたつもりも、夢の実現を保留したつもりもなかった。

 

それがどういうわけか、Jリーガーになるチャンスが回ってきた。

その辺にいる人たちより努力をしてきた自負はあるけれど、それがスペシャルなものだったかと聞かれるとそうではない。

一般的に0.1%近いと言われる倍率を勝ち抜くに値するものだったかと自問しても、答えは出ない。間違いないのは、この機会が、自分の力だけで得られたものではなかったということだけだ。

 

あるJリーグのチームはその日、練習試合のメンバーが足りず、近くの借りれる大学生を探していた(怪我などがたて込んだときによくあることだ)。

僕のひとつ上には有望株の先輩がいて、チームはその選手を借りようとしたが、その先輩には大学の公式戦があったので行くことができず、代わりに、公式戦に出られていなかった一年生の自分がそのチームの助っ人に行くことになった。そのチームとは、四年後に僕が加入するチームだ。

 

四年生の春になれば、だいたいのクラブが目星をつけて、オファーを出したり、契約したり、強化指定選手(大学に在学しながらJリーグに出場させることができる制度)の登録をしたりする。

意志もないし、そもそも大した選手じゃない自分のところには、まだそのような気配は微塵もなかった。このまま就職活動をどうしようか悩んでいたときに、チームは日本一になった。

Jリーグに内定している選手たちを相手取って、様々な人たちが値踏みをしている中での勝利は、大学の価値以上に選手の価値をインフレーションさせ、そしてその後少し経ってから、僕はオファーを受けることになる。

こういう事象を、コネクションと呼ぶのか縁と呼ぶのかで、またはネームバリューと呼ぶのか実績と呼ぶのかで、角の立て方はコントロールできるわけだけど、すべての選手を定量的に評価することなど不可能な中で、Jリーガーになれるかなれないかという線引きは非常に曖昧だ。

Jリーガーとそれ以外を分ける実力差は、世間が思っているほど厳然たるものではないのだ。

 

最もファクトフルネスなものは、Jリーグへの出入り数字だ。

 

調べてもらいたいのは、2年間でクビになる選手の数、そしてその中で、試合に1分足りとも出場できない選手の数だ。

 

そして毎年1000人余りのJリーガーの中から、100人近くが退団し、また一定の基準をクリアしたとされる新人が100人程度入ってくる。

プロは厳しい」というのが謳い文句だけど、見えづらい方にある事実は、Jリーグは誰がプロで通用するのかをよく分かっていないということだ。

 

その評価の基準を持っていないからこそ、不幸にも夢を叶えたどうかを検証する間もなく、その夢から追放される人が多く生まれる。

言い方を変えれば、その基準を満たさないとされ「それ以外」という評価を受けた者たちにも、Jリーグで通用する可能性があったということだ。実際はこれは感覚的な話だけど、社会人リーグには「なぜこの人はプロになれなかったんだ?」と思わざるを得ない人たちが、仕事終わりにスーツから着替えて、都会の真ん中でボールを蹴っていたりする。

 

評価を受けること

特に評価においての絶対的なファクト、あるいはファクトフルネスな状態というのは、これから先どれだけHRテックが進歩しても存在しないように思える。それはワンネスの名の元に脳が水平統合されるような、SFの世界が来るまではきっとそうだ。

 

Jリーガーとそれ以外」というような世界は存在しないということが、(特にフットボーラーたちにとって)あなたが思っているよりもベターな世界なのかは分からないけれど、これは動かしようのない事実だ。縁や運を掴んで、Jリーガーになった人たちのことを揶揄するつもりは一切ないし、彼らの努力はこれもまた事実だ。しかし、歪められている認知は正しておく必要がある。

 

Jリーガーは謙虚であるべきだし、非Jリーガーは卑屈になるべきではない。評価どこまで行っても曖昧だ。「他人」からの「定量」は拠り所にしやすく、評価を受ける側でいることは、それが良いものであれ悪いものであれ居心地がいい。挑戦のときは背中を押して、諦めのときは肩を叩いてくれるから。

しかし、そこにファクトはない。唯一のファクトフルネスは「自分」の「定性」の中にしかない

評価を受けつつも、自分と向き合うことでしか得られないものも多い。誰に認められずとも、夢を諦めたくないのであれば諦めず続けるべきだ。誰に何と言われようとも、次に進みたいのであればケリをつけるべきだ。世界は歪んでいるのだから、せめて自分の視界だけはクリアに保っておく必要がある。

 

アイキャッチ画像:©️TOKUSHIMA VORTIS

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