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【連載】「危機感と五輪への期待」元ラクロス日本代表が綴る、社会人ラクロス団体SELL立ち上げの背景(1/3)

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現在大手広告代理店のスポーツ局に配属されている元ラクロス日本代表の柴田陽子は、社会人になってからもじつに10年以上ラクロスに関わり続けている。いろんな世代のプレイヤーがいる中、「社会人ラクロス」に特筆してかける想いがあるからだ。

ラクロスは柴田の人生そのものであると言っても過言ではない。それだけ、彼女はラクロスを長く続けてきたし、だから学んだことがシンプルに多い。

ただ、同時に、柴田が日本のラクロスに与える影響も多い。

ラクロスが本格的に日本でプレーし始められてから約30年ほどしか経っていないことを考えると、その歴史のじつに半分以上ラクロスに関わり続けた柴田は、日本のラクロスにとっても欠かせない存在なのだ。

もちろんこの事実は本人も理解している。だからこそ、SELLという社会人ラクロス団体を立ち上げたのだ。

彼女の想いに共感し、今回meme編集部は柴田陽子に3本、ラクロスにかける彼女の想いを寄稿いただくことになった。

今回はまず、社会人ラクロスの現状を理解するため、SELLが立ち上がった背景について綴ってもらう。

はじめまして、柴田陽子と申します。

大学を卒業して気づけば10年の月日が経ち、会社の中でもいつしか中堅社員になっていました。現在は、広告代理店で東京オリンピックの競技演出に携わる夢のある仕事をさせていただいています。

 

私はこの10年間、仕事をしながらも常に大学から始めたラクロスという競技に携わり続けてきました。きっとラクロス関係者の方は、私のことを様々なラクロス界での顔で知っているのではないかと思います。

 

元日本代表選手

日本代表コーチ

青山学院大学女子ラクロス部監督

元FUSION(社会人クラブチーム)所属選手

元CHEL(社会人クラブチーム)所属選手

関東オーバーユースヘッドコーチ

慶應義塾大学女子ラクロス部OG

 

そんなたくさんの顔の中に今年はまた一つ、新たなラクロスの顔を加えることとなりました。それが、新ラクロス団体「Second Era Leaders of Lacrosse (通称SELL)」の代表としての顔です。

 

そして、SELLの代表としての活動の中でこの記事を書く機会をいただきました。この記事やSELLの連載を通して、一人でも多くの方にSELLやラクロスの選手や競技の魅力を知っていただければ幸いです。

 

SELL立ち上げの背景にある3つの出来事

SELLは一言でいえば、「社会人ラクロスの成長と価値向上」を目指す団体です。SELLが立ち上がった背景には、ラクロス界における3つの出来事があります。

 

衰退する社会人クラブチーム

日本でラクロスが始まったのは今からおおよそ30年前の1987年。その3年後の1990年には初の全日本選手権が開催されました。

その頃はまだ大学しかラクロスをする場はなく、「大学を卒業したあともラクロスがしたい」という想いで社会人クラブチームが立ち上げられたのはそこから約5年後。

もちろん全員が平日は仕事をしながら土日に所属チームで練習を行い、母体となる企業があるわけでもなく部費も遠征費も自分たちで払う。

そんな完全アマチュアなチームばかりでしたが、それでも1996年に社会人のクラブチームが初めて全日本選手権を制すると、そこから2011年まで15年間、クラブはその座を一度も明け渡しませんでした。

 

私が慶應義塾大学女子ラクロス部に在籍していた2005年から2008年は、まさにクラブ黄金時代の真只中で、この4年間で3つの別の社会人クラブチームが優勝するなど、クラブチーム同士の頂上争いが熾烈でした。

あの頃の大学チームにとっては、社会人クラブチームに勝つのは本当に高い壁で、私自身も全日本選手権の準々決勝で社会人クラブチームに敗戦して大学ラクロスを終えました。

引退して数週間後に全日本選手権の決勝を見に行って、その年に優勝したFUSIONの先輩方がとにかく輝いて見えて、数か月後気づいたら自然とFUSIONへの入部を決めている自分がいたのを覚えています。

私が大学を卒業した翌年から、全日本学生選手権という全国7地区の学生の頂点を決める新たな大会が設立され、それを機に学生ラクロスの強化が一気に加速します。

そして2012年、社会人クラブの運命を揺るがす大事件が起きます。全日本学生選手権を制して勢いに乗っていた慶應義塾大学が準決勝、決勝と優勝候補と目されていた社会人クラブを続けて下し、ついに15年守り続けてきた王座から社会人クラブが陥落したのです。

ここから社会人クラブは暗黒時代に突入。

翌年、古豪MISTRALがなんとか王座を奪い返すも、その翌年の2014年からは4年連続で大学が全日本選手権を制することに。

次第に私がFUSIONというチームと選手に憧れて入ったように、社会人クラブチームに憧れを抱いて入る選手が少なくなっていきました。大学在学中に頂点をとってしまって燃え尽きてしまう選手や、大学にも勝てない社会人クラブには魅力を感じない、なんて声も聞こえてくるようになりました。

そんな中で迎えたのが2017年のワールドカップです。

 

2017年のワールドカップ

私にとって2017年のワールドカップは2回目の世界との戦いでした。

初めて世界に挑んだのはその8年前の2009年。その時はまだ社会人1年目で、18名の日本代表選手の中では年齢的に下から3番目でした。4年に1回の開催であるラクロスのワールドカップは、ラクロス界においては世界最大のイベントであり、もちろん私も2013年も途中までは選手として目指していました。

ただ、社会人5年目という女性アスリートとしては一番良い時期にワールドカップを迎えるはずであった2013年には、私は仕事とラクロスの両立にとても苦しんでおり、世界と戦えるレベルには到底達していませんでした。

 

その頃から徐々に私の中のラクロスの比重は選手からコーチへと移行し、2017年のワールドカップを迎えるときにはすっかりコーチになっていたわけです。

そしてわずか30歳の私がコーチをできるくらい代表選手も若返っており、最年長が28歳、3回目のワールドカップ(つまり2009、2013、2017の3大会連続出場)という選手は一人もいませんでした。それだけ日本のラクロス界において、社会人でありながらトップレベルで戦い続けるというのは難しいことなのです。

日本は2017年のワールドカップは9位に終わったのですが、これは2013年と全く同じ順位で、逆に2009年の7位、2005年の5位からは順位が落ちていることになります。

この10年間でラクロスは急激に進化し、参加国も増える中で多くの国が力をつけてきているという事情もありますが、少なくとも世界の4強と言われているアメリカ・カナダ・イングランド・オーストラリアの4か国は2005年からの4大会はおろか、もう何十年もの間一度もこの構図を崩されていない。順位が落ちたから弱くなったとか、順位が落ちたから伸びていないというほど簡単なものではありませんが、少なくともこの4強を崩すほど何かは変えられていないわけです。

 

2028年のオリンピック

2017年はラクロスにとって特別な年でした。

実はこの年初めて、FIL(国際ラクロス連盟)が主催する世界大会以外に、IWGA(国際ワールドゲームズ協会) が主催し、IOC(国際オリンピック委員会)が後援するワールドゲームズという世界大会にも参加したのです。

この大会は、4年に一度、夏季オリンピック・パラリンピック競技大会の翌年に開催されるもので、オリンピック競技大会に採用されていない競技種目で実施される「第2のオリンピック」とも言われています。

この大会を経ることが五輪採用種目となるための一つのステップと考えられており、実際2020年東京オリンピックの追加競技種目となった5競技(野球・ソフトボール、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィン)はすべてIWGA加盟競技です。

2017年のワールドゲームズはポーランドのヴロツワフという町で実施されたのですが、日本代表もラクロス競技の参加国6か国のうちの一つとして参加しました。

日本の試合にはスポーツ庁の鈴木長官やワールドゲームズ協会の理事などにも多くお越しいただきました。2021年にアメリカのアラバマ州バーミンガムで開催される次回大会への競技採用もすでに決定しています。

2028年のオリンピックは、アメリカのロサンゼルスで開催されることがすでに決定しています。

ラクロス界で圧倒的な強さを誇るアメリカ開催となることも関係し、ラクロスは追加競技種目となるチャンスと言われています。そのため、ラクロス界ではこの10年後のオリンピックに競技採用されるべくアメリカで女子プロリーグが発足したり、来年から男女種目のルールを揃えたりと色々な動きが出てきています。

FIL内部でも色々な役職や組織構成を見直していると聞いており、10月には国際ラクロス連盟の選手会に日本からも日本初のプロ選手である山田幸代さんが選出されています。

そして先月東京で開催されたIOC理事会にて、ついにFILがIOCへの加盟を暫定承認されました。3年という期限付きではありますが、オリンピック種目になるための大きな一歩です。

最近は、日本国内のラクロス界でも次第に「2028年のロサンゼルス五輪」という言葉をよく聞くようになってきました。

 

こうした背景の中、2018年に設立されたのがSELLです。

この勢いで、SELLのビジョンについて綴ってしまい気持ちはあるのですが、少々、長くなってしまいましたので、今回はここまでにしておきます。

次回は、SELLの立ち上げと狙い、ビジョン、そしてこれからの活動についてより詳しく書きたいと思います。

 

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